アレとコレ
エリセ監督の最新作『瞳をとじて』には犬が出てくる。映画を撮らなくなった主人公が家に帰ると尻尾を振って出迎えるのは犬である。イーストウッド監督の『グラントリノ』でも孤独な主人公に寄り添う犬がいた。 犬の映画は好きではないが、映画の犬は好きであ…
ランボーは、10代で詩集をだし、20代で詩を捨て、30代で死んだ。だが、もし、ランボーが死の間際に再び詩の世界に戻っていたら、と想像する。いや、もし彼の遺作が見つかったら? それは十代の作品と明らかに違うものだろう。天才少年のままでいてほしかった…
ウクライナとロシアの戦争も、イスラエルによるパレスチナへの非道な攻撃も一日も早く終わればいいのにと思っています。でも、「どうしてこんなひどいことを」とつぶやく度に、「人間だから」だという答えが浮かぶのです。だって、動物は保身と捕食以外に同…
悪女ってなんでしょう。ゴーティエの『死霊の恋』を訳していてふと思いました。クラリモンドは死霊(La morte 今でいうゾンビとはちょっと違うので混同しないでね)にして吸血鬼、高級娼婦として男を誘惑し、その血を吸う怖い女です。でも、タイトルは『死霊の…
最初に哲学の入門書を引きうけたとき、しり込みする私に担当編集者は言いました。「専門書ではないし、あくまでも一般教養の範囲だから大丈夫」と。確かに、原書を読んでみると難しい言葉はあまりなく、日常語で書かれています。よしこれならと思ったものの…
登場人物に名前はない。それなのにこんなに感情移入できるのはなぜだろう。クララ・デュポン゠モノ『うけいれるには』(松本百合子訳、早川書房)は、障害のある子どもの成長と死を兄、姉、弟がどう「うけいれた」のかをたどる小説だ。個々の名が示されず、…
「好きな人」が「好きだったひと」になってしまうのは悲しい。変わってしまったのは相手の方かもしれないし、自分の方かもしれない。恋には心変わりによる別れがある。だが、家族はそう簡単に別れられない。 鈴木大介著『ネット右翼になった父』(講談社新書…
宗教をひたすら避けていた時期があった。膝のじん帯を痛め、動けない私に池田大作の本をどんと送り付けてきた学会員の伯父が嫌いだった。大学に進むときもミッション・スクールは避けた(今にして思えば立教にも上智にも好きな先生はいたのだが)。それなの…
タンポポの仏語名はダンデライオン(dent de lionライオンの歯)と聞くと勇ましいが、もうひとつの言い方、ピサンリ(Pissenlit)は、おねしょ(Pisse en lit) という意味も重ねもつ。おねしょで叱られた記憶はないが、トイレを探す夢は見る。トイレを探し…
映画『素晴らしき哉、人生!』(*)を見て、最後にふと、悪徳実業家のポッター氏は最後まで改心しなかったのだなと思った。そして、彼がどこかで罰をくらうのを期待していた自分に気づいてしまった。勧善懲悪のパターン化したドラマなど見飽きていたはずなの…
アンヌ・ヴィアゼムスキーが来日した時、シンポジウムのあとのQ&Aで、ゴダールのことばかり質問を重ねる参加者があり、苛立ったことを覚えている。そのとき上映されたのはガエルの『秘密の子供( L'Enfant secret)』で、ちょうど彼女の小説『Hymnes à l'…
『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(*)、旅先からの絵葉書を受け取ったかのように胸躍らせながら、拝読いたしました。そしてお返事を書きたくなりました。ご無礼かもしれませんが、「三喜さんと歩調を合して大股に歩き」、「対等ということはそれほどむずか…
『ル・クレジオ、文学と書物への愛を語る』(*)にこんな記述がありました。 「他に類がないほど道徳に凝り固まった小説―ーフランス文学では十七世紀にラ・ファイエット夫人によって書かれた『クレーヴの奥方』でしょうーーであっても、教訓はやはり曖昧です…
怒るのが下手なのでしょう。恐怖や嫌悪が先に立ち、まずは逃げてしまいます。でも、それで終わりとはいかず、胸の動悸が収まった頃にもういちど現場に戻ってしまうことがあります。あれはいったいなんだっただろうという好奇心とともに。 6月頃でしたでしょ…
宮崎駿監督の「紅の豚」を見るたびに胸が苦しくなるシーンがある。男たちが出稼ぎに出て、残った女ばかりで飛行機を造るシーンだ。若い女性設計士ピノの設計した飛行機を造るために、親戚中の女たちが集められる。飛行機=男のものという常識を翻す女性たち…
更年期だ、老眼だと落ち込む私を知ってか知らずか、身につまされる本をW氏からいただいた。「作家の老い方」(草思社)という本で、芭蕉から穂村弘まで老いをテーマにした詩歌、エッセイなどがずらりと並ぶアンソロジーだ。堀口大學、杉本秀太郎、吉田健一、…
フランスにゆくまで、私にとってひまわりは「花」だった。だが、フランスのスーパーの食品売り場をうろうろしていると、自炊を始めたばかりの私の目に「L’huile de tournesol」というひまわりの花の絵が描かれたラベルが目に入った。ヒマワリ油。映画「ひま…
「かわいい」という言葉は本来、「小さくて弱い者」に向けられるものである。つまり、象は仔象をのぞき、「かわいい」とは言い難い。だからこそ、象は「かわいそう」なのである。大きく、賢く、ガネーシャや普賢菩薩の乗る象など神格化される一方、虎の威を…
父が亡くなってしばらく、「死」という字すら怖くなった。死亡や死去と書くことすらできず、「没」や「逝去」という表現に逃げた。亡くなるが「無くなる」や「失くなる」に誤変換されるたびに虚を突かれた。そうやって逃げ回ったとて死から逃れることはでき…
日記について書こうとした矢先、『シモーヌ』5号(*)が日記特集であることを知った。さっそく手に取ると、執筆者の考察の深さに圧倒され、誰かが先に書いてくれたのなら、もうここに書く必要はないとさえ思って、一度はお蔵入りさせた小文なのだが、そもそ…
「荒海に人魚浮けり寒の月」(*)という俳句に出会ったときの驚きをどこから話せばいいでしょう。子供の頃、最初に出会った人魚は、アンデルセンの「人魚姫」、その次が小川未明の「赤いろうそくと人魚」だったでしょうか。この2作品の影響で、私にとって人…
かゆいのはつらいのです。痛みが体の悲鳴なら、痒みは身体の愚痴です。プラトンの『ゴルギアス』にこんな話があります。ソクラテスはカルレクリスに「ひとが疥癬にかかって、掻きたくてたまらず、心ゆくまで掻くことができるので、掻きながら一生を送り通す…
洋の東西を問わず、お灯明と言っていいのでしょうか。信者でもないのに、教会に行ってロウソクの光を眺めてるのが好きでした。年を重ね、お誕生日のケーキにロウソクを並べることはなくなりましたが、この季節になるとキャンドルの明かりに心惹かれます。 高…
子どもの頃、兄弟や姉妹のいる友人を羨んだことはありませんでした。むしろ、「一人っ子でかわいそう」と同情されることが嫌だったぐらいです。ところが、両親がふたりともこの世を去った時、私ははじめて兄弟がいないことを寂しく思いはじめました。 映画『…
呉明益の「自転車泥棒」*は失踪した父とその自転車をめぐる物語である。だが、不思議なことに私の印象に残ったのは、父が疾走する前の話。語り手の母が自転車に乗る場面だ。「口減らし」のために、娘が遠くに連れていかれそうになり、母親は娘を奪い返すため…
『狂女たちの舞踏会』(V・マス、早川書房)の訳者あとがきで、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン著、『ヒステリーの発明』(*)を引用しました。この本には、1880年代、写真家アルベール・ロンドたちが撮影したサルペトエリエール精神病院の患者たちの姿が…
犬は犬として生まれるから犬なのでしょうか、犬に育てられるから犬になるのでしょうか。これはアイデンティティの問題であり、教育の問題です。まずは、映画『ベラのワンダフル・ホーム』の原作、W.B.キャメロン『名犬ベラの650km帰宅』(青木多香子訳、新潮…
画家はとある令嬢の肖像画を依頼されます。写真のない時代、その肖像画はお見合い写真のようなものなのです。画家は「被写体」であるその令嬢を観察し、作品を仕上げていくうちに彼女に恋をしてしまいます。その結果、作品は、写実絵画から、ラブレターへと…
凧あげというとお正月のイメージが強いのは、冬の風が凧あげに向いているからでしょうか。もちろん、これは日本だけのことで、夏が凧あげのシーズンだったりする国もあるのです。コロナの影響で、エジプトで凧あげが流行という記事を読んだのは、2020年8月の…
ジム・ジャームッシュの映画『パターソン』のなかに「詩の翻訳なんてレインコートを着たままシャワーを浴びるようなものだ(Poetry in translations is like taking a shower with a raincoat on.)」というセリフがある。これを聞いたとき、映画館の暗闇で…