異国のお人形 芥川と雨情

 少々遅くなりましたが、3月は雛の月。芥川龍之介の「雛」(1923)は、旧家がひな人形を横浜のアメリカ人に譲渡することになる話です。ひな人形の持ち主である少女は淡々としているのですが、人形との別れに没落の悲しみを重ね涙したのは、以外にも少女の父親であったという意外さに胸を打たれます。芥川は「横浜の或英吉利人の客間に、古雛の首を玩具にしてゐる紅毛の童女に遇つたからである。今はこの話に出て来る雛も、鉛の兵隊やゴムの人形と一つ玩具箱に投げこまれながら、同じ憂きめを見てゐるのかも知れない」とこの短編を結んでいます。

 一方、この短編小説が書かれる2年前の1921年、野口雨情は「青い眼をしたお人形はアメリカ生れのセルロイド」と、アメリカから来た人形を歌にしています。雨情は、異国からやってきて言葉もわからない人形を気遣い、「やさしい日本の嬢ちやんよ / 仲よく遊んでやつとくれ」という願いを歌詞にこめています。

 アメリカにわたったひな人形はどうなったのでしょうか。近年、海を渡った浮世絵や伊万里焼が大切に保存され、日本に里帰りをしているのを見るにつけ、もしかすると、芥川の心配をよそに、海を渡った雛人形関東大震災も空襲も知らず、案外幸せな第二の生を生きたのではないかとすら思ってしまいます。

 擬人化という言葉を使うまでもなく、人形は人のかたちをしており、そこには、人間に対する思いが重なります。異国へゆくひと、異国からくるひとについても、「仲よく遊んでやつとくれ」と願わずにはいられません。