白黒白日記 2 ともしらが

白黒白日記 (2)ともしらが

 

7月某日

白髪染めをやめて四か月、大学の同期とZoom飲み会。やっぱりワタシだけ老けて見える。えーん。じぶんのなかの「見栄」に気づかされる。その一方、染まるシャンプーもあるよ、などというアドバイスがありがたいような、うるさいような。

 

7月某日

二度目の美容院。つい、いつもの調子で文庫本をもっていったが、カラーリングもパーマもないと「待ち時間」ないのね。カットだけでさっさと帰る。

  

7月某日

バスの中で見知らぬ老婦人に話しかけられる「首の後ろがかぶれちゃってね、染めるのやめたの。あなた、それ何か月? ああ、そう。きれいでいいわね。わたしなんて髪ぼさぼさで」面食らったものの、きれいと言われればうれしい。なんなのこの連帯感。

 

8月某日

昼間賢さんのツイッターで、シレジウスの詩を教えてもらう。

「あらゆる形<あらゆる色>を失いなさい、そうすればあなたは神と等しくなるだろう、

あなたの空は、静かな安らぎのうちに、あなた自身と等しくなるだろう」

ロラン・バルトの『中性”について―コレージュ・ド・フランス講義 1977‐1978年度』(塚本昌則訳、筑摩書房)からの引用なので、孫引きならぬ玄孫引きになってしまいますね。髪が白くなるのは、形や色を失い、いつか透明な存在になるための準備なのかもしれない。

 

8月某日

ボーヴォワールの『おだやかな死』や『老いについて』を読むと、手探りで進み、揺れ続ける姿に強い女としてのイメージが崩れ始める。老いはどうしようもない。ただ必要なのは精神年齢と体力年齢、見た目年齢の三つをいかにシンクロさせるか。その時差にどう向き合うかだと思う。

 

8月某日

中学生の時、ある人がお遊びで私の名前を折句にしてくれたのね。

「ながながと かれんな花は たかのぞみ ちりゆくすえは なにをかもとめん」

花が散っても種がのこればよし。散った花びらが風に乗って運ばれるのもまたよし。

 

9月某日

父の命日。若白髪で若い時から老成したひとだったけれど、晩年、老いについて書きたがっていた。「こんなに長寿になったのは最近のことだし、実際に老いると書くだけの知力や気力が失われるから、老いについて、当事者が書いたものはまだまだ少ないんだよ」と言っていた。享年72.

 

9月某日

そういえば今年は結婚20周年。夫から「ともしらが達成だね」と言われる。そう言ってくれるひとでヨカッタと思う。

 

つづく