本の一生 

 人の一生とおなじように本には本の一生があるのでしょう。あっという間に捨てられてしまう本があれば、人間よりもずっと長生きする本もあります。

 実家を処分するにあたり、たくさんの本とお別れしました。

 精神科医だった父の本は医学書が中心でした。医学は日進月歩なので、古い本は臨床の役に立ちません。趣味の本も、父はあれこれ下線を引き、書き込みをする習慣があったので、古書としての値段はつきませんでした。これもまた内容が父の心や頭に刻み込まれ、物体としての本はその命を終えたのでしょう。父が亡くなったことで、本はその役目を終えたのです。それでも一部は、父が勤めた大学病院の蔵書となりました。私が形見としてもらった本もあるし、古書店に引き取られた本もあります。

 アンドレーア・ケルバーケル『小さな本の数奇な運命』望月紀子訳、晶文社)は本が主人公。こんなふうに始まります。

「あ、来た。眼鏡のあの若者。近づいてくる。レンズの奥から目を光らせて。(…)こんどは裏表紙。鉛筆で値段が書いてある。困ったような顔をする。(…)ノーだ。本を戻した」

 これは、古本屋に並べられた主人公が棚で買ってくれる人を待っているところ。そして、彼は新刊書として並んだ時の晴れがましさ、最初の持ち主が死んで古書店に引き取られたときのこと、天日干しや消しゴムかけを経て、初版本として高額をつけられ、古書店に並べられたことを語ります。廃棄処分に怯えながらも、買ってくれる人を待つ「本の人生」は、なかなかにスリリングです。だって、本は持ち主を選べないのですから。外で読んでもらい、風を感じるのが好きな本もあれば、日焼けが嫌いで室内を好む本もいそうです。

 実家に出張買取に来ていただいた翌週、その古書店を訪ねました。店の棚には、これまで「私蔵」いや、「死蔵」されていた本が、息を吹き返し、誰かに読んでもらうのを待っている姿がありました。「あの子たち」の第二の人生ならぬ第二の本生の幸せを祈りつつ、私はまた新たに本を買うのです。

 

反歌

古本の扉に黒きふたつの名 贈りしひとと贈られしひと

その人はどこまで読みしか半端なる頁にありし栞の未練

父逝きて本も死にゆく誰一人読まざる頁に煙草の匂ひ 

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