ワタシノバンナノデスカ 少女と老婆

 母が亡くなってから、ふと鏡のなかの自分をみて、老婆のすがたに驚くことが増えました。介護から葬儀、実家の処分までの疲れがでたのかもしれません。コロナ禍のせいで人と会う機会が減ったことや、アレルギーのせいで髪を染めるのをやめたのも老け込んでしまった原因かもしれません。いや、それより何より、世界は一定数の老婆を必要としていて、老婆がひとり死ぬと、中年女性のなかから誰かひとり繰り上がらねばならないのではないかと。

 思えば、祖母が亡くなったあとの叔母もそうでした。長い間、祖母を介護し、祖母の死とともに自分の人生を満喫すると思いきや、そのままおばあさんになってしまったのでした。ああ、こわいこわい。でも、それは和解のかたちでもあるのです。

矢川澄子さんの随筆「卯歳の娘たち」(*)を読んでいたら、老母に対する複雑な思いを記した一節がありました。

「母の生涯をかえりみるとき、わたしはともすればそこ知れぬむなしさにひきずりこまれそうになるのをどうすることもできない。あのひとはあのひと、わたしはわたし、とわりきって知らんふりをしてすませたいところだけれど、でもやはり、大きくいってわたしは母をゆるしてしまっているのだろう。少女の一頃のように、このひとの似姿にだけはぜったいなりたくないと思いつめていた。その気持が、年月とともにいつしか解けかかっているのである」

 私と母の関係も同じでした。だから、大学生の頃は、高野文子さんの「はい―背筋を伸してワタシノバンデス」(**)がきらいでした。だって、銭湯の女風呂で、去っていく老婆は若い女に背中で「ツギハ アナタノバンデスヨ」と告げるのです。いやいや、私は母のようにはなるまいと思っていたし、そんなのいやだという拒絶感がありました。実際、私は母とは違う生き方をしてきました。母と違って、仕事ももちました。子供もいないので、私は母にならず、母とは違うと思い込んでいました。それでも、私の姿はじょじょに母に似てきました。やはり、次はきっと「ワタシノバン」なのです。

 思えば、少女と老婆もまたこのブログのテーマ「似て非なるもの、遠くて近きもの」です。さて、私のバトンを受け取ってくれるのは誰なのでしょうか。

 

 

*矢川澄子『妹たちへ』ちくま文庫所収

**高野文子『絶対安全剃刀』白泉社所収