アルマンの弁明 文学の楽しみ方

  NHKの朝のドラマ「カムカム・エヴリバディ」でヒロインの夫ジョーが髪結いの亭主よろしく働かずにいることが話題になりました。もっと前に放送された「あぐり」では、ヒロインが美容師ですから、エイスケさんはまさに「髪結いの亭主」でしたっけ。

 ところで、これも何年か前、新訳「椿姫」を読んだ方から「アルマンはなぜ働かないのか」と聞かれたことがあります。それも一度や二度ではありません。うんうん、高級娼婦のマルグリットに「お仕事」をしてほしくないのなら、彼がお金を何とかするしかないよね。でも、彼は博打でちょっとばかりお小遣いを増やし、公証人のもとに母の遺産の配当を受け取りに行くだけで働こうとはしないのです。その都度、歴史的な背景など、かいつまんで説明してきましたが、いつもどこか言葉足らずで、自分のなかの宿題となっていました。そんなわけで、私なりの答えをいちどちゃんと書いておこうと思い立ちました。

  • アルマンは働けない。

1789年のフランス革命に始まり、帝政、王政復古と次々と政体が移り変わり、フランスは激動の時代にありました。この混乱に乗じて一旗揚げようと田舎青年たちがパリに押し寄せます。当時、パリは彼のようなひとであふれていました。時代は違いますが、小津安二郎の映画『大学は出たけれど』にもそんな光景がありましたね。また当時は階級社会で職人は徒弟制、それ以外の職業も世襲制が中心であり、昨日まで法学生だった人が明日からパン屋で働くわけにはいかなかったのです。

  • アルマンは働く必要がない。

そもそも、「マルグリットに贅沢させる」ことができないだけで、働かなくても「生活する」に十分な収入はあったのです。明日のパンにも困る、飢え死にしそうだというほどの切迫感はありません。この時代、結核は不治の病でした。もし、この時代にストレプマイシン(結核治療薬)が存在していたら、アルマンはマルグリットの肺病を治すため、金策に奔走していたかもしれません。

  • アルマンは働かない。

アルマンが働かなくてはならない理由はマルグリットです。でも、彼が働かない理由もまたマルグリットなのです。恋人同伴で出勤できる仕事場はありません。働けば、マルグリットと一緒にいられる時間は減ってしまうのです。ちょっと極端な例ではありますが、少しでも長い時間、恋人と一緒に、家族と一緒にいられるように残業を減らしたり、転勤を拒否する人は今でもいるでしょう? 

  • アルマンは働かなくていい。

最後にもうひとつ。いや、むしろここからが本題です。アルマンは架空の人物なので働かなくていいのです。実際、私自身、訳している間、いちども「なんでアルマンは働かないのか」と疑問に思わなかったのです。小説の人物は働かなくても生きてゆけるし、空を飛んでもかまわないのです。確かに、読者が感情移入するにはある程度のリアリティが必要かもしれません。でも、現実世界の倫理や理屈を文学に持ち込めば、殺人も悪意も描くことができなくなります。そもそも、読書の目的は登場人物に感情移入すること、自分と重なる分身を求めることなのでしょうか。「なんであんなにひどい男と別れないの?」と思ってみても、物語のあらすじは変わりません。「あなた」は「わたし」ではないし、作中の「彼女」でもありません。すべて受け入れたうえで、自分とは違う人物、自分ではしないはずの行動を「観察」したり、「経験」したりすること、思い切り馬鹿になるのもよし、身を持ち崩すのもよし、それもまた文学の楽しみ方だと思うのです。

 

追伸:現実社会においても「なんで働かないの?」という問いは、「なんで働かなくちゃいけないの?」「働いてお金を稼ぐことが人生でいちばん大切なの?」という問いの裏返しとなるのですが、それについてはまた宿題に。