記憶の記録 アンネとお聖さん

 日記について書こうとした矢先、『シモーヌ』5号(*)が日記特集であることを知った。さっそく手に取ると、執筆者の考察の深さに圧倒され、誰かが先に書いてくれたのなら、もうここに書く必要はないとさえ思って、一度はお蔵入りさせた小文なのだが、そもそもたかがブログ、依頼原稿ではないのだから、と思い立ち、公開しておくことにした。ブログもまた日記のようなものであるし、「誰か」がかわりに書いてくれていても、それは私の言葉ではない。

 実家を処分するときに、1980年10月30日から1996年までの日記を処分した。日記を書き始めた時期がはっきりとわかっているのはアンネ・フランクのおかげだ。アンネ・フランクは13歳の誕生日から架空の友達キティに宛てて日記を書き始めた。それを真似たのである。いや、正確にはあいだにもう一人いる。松谷みよ子『私のアンネ・フランク』(**)で主人公ゆう子はアンネを真似して、アンネ様あてに日記を書き始める。私はゆう子を真似たのだ。だが、架空の相手を想定して書くというのはなかなかに難しく、いつしか普通の日記になった。内容もまた平凡なものだった。

 最初に、『アンネの日記』を読んだとき、どこか後ろめたさを感じた。鍵付きの日記帳が流行していた当時、日記とは誰にも読まれたくないもの、読まれてはいけないものだったからだ。後年、増補版(***)などの刊行により、アンネ自身も戦時の記録として残ることを意識していたことを知り、ようやく「盗み読み」のような罪悪感から解放された。

 いや、もとより、日記はもっとも秘めたるものでありながら、またどこかで「読みたがられているもの」なのかもしれない。太宰治の『女生徒』は、有明淑の日記をもとに書かれている。アナイス・ニンは、少女期の自分の日記を「自ら」出版している。秘められた思い、身近な人に話せないことこそが、少女にとって、誰かに聞いてほしいこと、わかってもらいたいことなのだ。そしてまた、自分を知らない人にならば、読まれても構わぬものだろう。現在、インターネット時代とともに拡がった匿名SNSの盛り上がりをみると、こうした現象は必ずしも少女に限ったことではないことがわかる。

 昨年暮れ、『田辺聖子 十八歳の日の記録』(****)が刊行された。アンネとほぼ同年代、同じ戦中の記録である。十八歳の少女のなかにはすでに作家田辺聖子の萌芽が見られ、私たちは『ジョゼと虎と魚たち』を書き、源氏物語を現代語に訳し、カモカのおっちゃんを愛し、スヌーピーと遊ぶ「お聖さん」を重ねながら、この本を読むことができる。なんという贅沢な楽しみ方だろう。それが可能なのは、田辺聖子さんが記憶が記録になるまで生き延びることができたからだ。そしてまた私は、アンネが収容所から生還していたら、あの日記をどうしていただろうか、と想像してしまうのである。

 

 

(*)『シモーヌ』vol.5(現代書館)特集:「私」と日記 生の記録を読む

(**)松谷みよ子『私のアンネ・フランク偕成社

(***)増補新訂版『アンネの日記』深町 眞理子訳、文春文庫

(****)『田辺聖子 十八歳の日の記録』文藝春秋