老いを読む、老いを書く

 更年期だ、老眼だと落ち込む私を知ってか知らずか、身につまされる本をW氏からいただいた。「作家の老い方」(草思社)という本で、芭蕉から穂村弘まで老いをテーマにした詩歌、エッセイなどがずらりと並ぶアンソロジーだ。堀口大學杉本秀太郎吉田健一吉田秀和など魅力的な名前が並ぶ。

  老いると書く気力も体力もなくなるから、自分の老いについて書ける作家は稀有なんだよとは亡き父の弁だが、確かに親の老いや敬愛する作家の晩年についてつづったものが多い。死者は本を書けないので、ほんとうの意味で死を書いたものがないのと同じ理屈である。老いについて書くと愚痴になる。愚痴を言うのはみっともないという心理もあろう。山田太一斎藤史の「冬茜褪せて澄みゆく水浅黄老いの寒さは唇に乗するな」という歌を引いている。

  中井久夫はジャンバッティスタ・ヴィーコの名が咄嗟に出てこなかったエピソードを引いており、読んでいて「あっ」と思った。数日前、私は確かにこの名をどこかで読んだ。しかし、その「どこか」がすぐには出てこなかったのである。これぞ「老い」ではないだろうか。

  弁解じみてはいるが、ここ数日に読んだ本は限られている。付箋を頼りにさかのぼると中村隆之氏の『第二世界のカルトグラフィ』(共和国)にこの名があった。思い出せてよかったと安堵したのも束の間、同書に引用されていたフランソワ・マトゥロンの『もはや書けなかった男』(市田良彦訳、航思社)に出くわしてしまう。こちらは、マトゥロンが50歳のときに脳卒中で倒れてからの著作であり、「もはや書けなく」なってからも支離滅裂な文章を書き送ることができる親友がいてこそ成立した記録である。やはり、自分の老いについて書くのは難しい。だからこそ、「あちらの世界」の言葉を「こちらの世界」に伝えてくれる通訳者や翻訳者、震える指や硬直する口に代わって記述してくれるひとが必要なのであろう。

  さて、翻って自分はどうだろう。両親ともに逝き、今月末には五十路も半ばを超える。美魔女とは程遠いものの、まだ見栄はある。どんなに予習を重ねても本番は一度きり。怖くないと言えばうそになる。