生まれてきてくれてありがとう 『ベイビーブローカー』と『水枕羽枕』

 怒るのが下手なのでしょう。恐怖や嫌悪が先に立ち、まずは逃げてしまいます。でも、それで終わりとはいかず、胸の動悸が収まった頃にもういちど現場に戻ってしまうことがあります。あれはいったいなんだっただろうという好奇心とともに。

 

 6月頃でしたでしょうか、アメリカで中絶の権利が危ぶまれているという記事に対し、フランスのヴェイユ法をからめてツイートしたところ、見ず知らずの方から「カネさえあれば生んで育てられる。堕胎技術がなければ生んで育てられる」というリプライがありました。はて、そんなことを言うのはどんな人だろうと、その方のアカウント(仮にXさんといたしましょう)を見に行きました。ニヒリズムというのか、斜に構えた厭世的ツイートが殆どでしたが、吉本隆明谷川俊太郎、ジミー・ヘンドリックスに関するツイートもあり、ただの暴言・罵詈雑言アカウントとは違うようです。イシグロ・カズオの『私を離さないで』を引いて、科学の発展は人間を幸せにしないとも語っていました。つらつらとTLを眺めていると、ある方のツイートには絵文字とともに「是枝監督の映画いいですね」という趣旨のコメントを返しているのが目に入りました。私も是枝監督の『ベイビー・ブローカー』を見たばかりでしたので、ちょっと意外な気がしました。そして、ふと思ったのです。ペシミズムに沈むこのひとが中絶に反対している理由は、「生まれなかったかもしれない自分」を考えるのが怖いからではないかと。大島弓子の漫画『水枕羽枕』に主人公の陸が、姉から自分は「墮胎される予定だった子供だ」と知らされるシーンがあったのを思い出したのです。もちろん、それすらも私の妄想や決めつけである可能性は否定しませんが、「私とは分かり合えないあなた」がふと人間の顔をもった瞬間でした。

 是枝監督の最新作『ベイビーブローカー』には「生まれてきてくれてありがとう」というセリフがあります。生まれてきた命は、母親がひとりで背負うのではなく、皆で(夫婦で、社会で)育てようという理念が示されています。生まれた子はみんなで育てる。でも、生まれるまでの10か月、妊娠した女性は誰にも代わってもらうことができないし、男性や社会が代わりに妊娠することはできないのですから、女性の人権として中絶は認められるべきでしょう。確かに、経済的な理由「だけ」が理由で中絶する女性は、「お金」で救うことができるでしょう。実際、出産費用や育児費用の負担軽減は必要です。ただ「堕胎技術」のほうは、すでにある技術をないことにはできないし、外国まで中絶に行く女性、不法な手段を使ってでも堕胎しようとして命を落とす女性がいたことは歴史が証明しています。望まない妊娠には様々なケースが考えられます。お金や堕胎技術だけの問題ではないのです。

 そして、また中絶禁止派にも様々な理由はあるのでしょう。「女性の権利は絶対に認めない」タイプや、「すべての子は神の子なので人間が手を出してはいけない」という宗教原理主義者以外にもそれぞれの事情はあるのかもしれません。採決や投票はイエスorノーの二択ですが、中絶禁止の前に、中絶を「減らす」ことなら禁止派とも協力できる部分があるかもしれない。妊娠をした女性が匿名で出産できる施設や、里親制度の充実、避妊手段の拡充など「中絶」以外の選択肢を増やすことは実際必要とされています。「生まれてきてありがとう」と言ってあげられるのは母親だけではないし、すべての子供(あなたも、わたしも)は「母親が中絶しなかったから」生まれたのではなく、必然としてこの世にやってきたと思ってほしい、思いたいという気持ちは中絶の権利を擁護する私にもあるのです。

 繰り返しになりますが、中絶の権利は認められるべきです。そもそも、ひとりの女性の幸せも、生まれた子供の幸せもどちらも大事であり、中絶の権利と母親支援は両立するはず。そういえば、あのリプライをよこしたX氏のアカウント名はとある樹木の名前でした。木を切り倒してしまえば、花は咲きません。女性の権利を護ることから始めなければ、子どもを幸せにはできないとも思うのです。

 あの日、このことをX氏に説明するだけの労を私は惜しみました。ツイッターという140字の器では伝えられる自信がありませんでした(ここまでで1800字を超えており、10本越えの連続ツイートになりますし、断片だけが切り取られるリスクもあります)。でも、ずっと気になっていました。今更リプライを返したら、こんどは私の方が粘着質の不審者になってしまうことでしょう。それでも、場を変えて、時間をおいて、こうして書かずにいられませんでした。映画「あのこと」のポスターが背中を押してくれました。遅くなりましたが、これが答えです。