誰かのだれか 私のわたし アンヌ&マリー

 アンヌ・ヴィアゼムスキーが来日した時、シンポジウムのあとのQ&Aで、ゴダールのことばかり質問を重ねる参加者があり、苛立ったことを覚えている。そのとき上映されたのはガエルの『秘密の子供( L'Enfant secret)』で、ちょうど彼女の小説『Hymnes à l'amour』(*)の邦訳がでたばかりだったので猶更である。かといってその場で立ち上がり「そんなのゴダール本人に聞きなさいよ!」と質問者の言葉を遮る勇気もなく、苦い思いを残した。
 ローランサンにも同じことが言える。何かというとアポリネールの「ミラボー橋」が
持ち出され、若き日の恋が語られる。だが、ローランサンの人生はアポリネールと別れ
てからの方が長いのだ。ドイツ人男性と結婚し、離婚し、自分の腕ひとつで自立し(ブ
ルジョワたちの肖像画からオペラの背景画まで)、最後は養女にすべてを託して亡くなっている(**)。その絵柄、色彩の印象が先行するのか、ふわふわとしたお姫様イメージが強いが、多くの女性画家が子供や母と子の姿を描いてきたなか、ローランサンの絵は母性を感じさせない。アポリネールとの恋、結婚歴があるものの、レズビアンだったという話もあり、彼女の描く女性たちは母でも娘でもない、そして妻でもないひとりの女性としてそこにいるように見える。誰かのだれか、ではなく私のわたしなのだ。
 ゴダールとの思い出話に口をつぐんでいたヴィアゼムスキーは、その後、とつぜん自戒を破るように「Une année studieuse」「Un an après」(***)の2冊でゴダールと過ごした時間を書き残し、ゴダールよりも先に逝ってしまった。ローランサンは、最後まで女たちを描き続け、昔の恋について語ることは少なかった。2月14日からBunkamura ザ・ミュージアムで「マリー・ローランサンとモード」展が始まった(****)。まだ足を運べていないのだけれど、ローランサンピカソローランサンは一時期キュビズムの影響を色濃く受けており、ピカソとの交流もあった)やアポリネールの添え物ではなく、きちんと評価される良い機会となりそうで、とても楽しみにしている。もっともローランサンが描いた肖像画をシャネルはつき返してきたそうだ。こうした自分の美意識、美学を貫く態度もまた彼女たちが対等であったことの証拠ではないか。

 

(*)アンヌ・ヴィアゼムスキー愛の讃歌中井多津夫訳、日の出出版
(**)フロラ・グルー『マリー・ローランサン』工藤庸子訳、新潮社
(***)アンヌ・ヴィアゼムスキー『彼女のひたむきな12カ月』『それからの彼女』原正人訳、DU BOOKS

(****)https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/2023_laurencin.html