アトピー戦記  ソクラテスから蛇の皮まで

    かゆいのはつらいのです。痛みが体の悲鳴なら、痒みは身体の愚痴です。プラトンの『ゴルギアス』にこんな話があります。ソクラテスはカルレクリスに「ひとが疥癬にかかって、掻きたくてたまらず、心ゆくまで掻くことができるので、掻きながら一生を送り通すとしたら、それでその人は幸福な生活を送ることができるのだろうか」と問います(*)。これは欲求を満たすことだけが幸福ではないと説くための前振りなのですが、もうこの部分を読んだ時点で「いえいえ、かゆいというそれ自体が苦しみであり、掻いたところでそこに幸福などありません」と反論したくなりました。太宰治の『皮膚と心』にも「痒さは、波のうねりのようで、もりあがっては崩れ、もりあがっては崩れ、果しなく鈍く蛇動し、蠢動するばかりで、苦しさが、ぎりぎり結着の頂点まで突き上げてしまう様なことは決してないので、気を失うこともできず、もちろん痒さで死ぬなんてことも無いでしょうし、永久になまぬるく、悶えていなければならぬのです」(**)とあります。子どもの頃からアトピー性皮膚炎に苦しんできました。半袖を着る夏、汗をかく夏が嫌いでした。海に行けば塩水が、プールに行けば塩素が掻きむしった肌を苛むので、泳げないまま大人になりました。冬は冬でウールや化繊のセーターがちくちくと肌を刺し、親切な伯母さんの手編みのセーターは一度も着ることができませんでした。当時、アトピー性皮膚炎は子どもの病気と言われており、大人になれば治ると言われていました。ところが、年齢を重ねてもちっともよくならず、ある意味、私は今でも大人ではないのかもしれません。

 だから、『象の皮膚』(***)を読むのには覚悟が要りました。何しろ「額を掻くと頬が痒くなる。肩を掻けば脇の下が、腹を掻けば背中が、尻を掻けば股が、膝の裏を掻けば膝小僧が痒くなった。熱に浮かされ、頭がぼうっとして息を詰めて必死に掻く。痒みという感覚のみに占められた真っ暗な頭を静めることも、掻く手を止めることもできない」という具合ですから。『象の皮膚』の最後、主人公は公園ではじめて自分を解放します。この気持ち、わかるような気がするのです。私の場合、フランスに留学したらアトピー性皮膚炎が治りました。乾燥した気候があったのか、人目を気にせぬ環境がよかったのか、あれだけステロイド剤をたくさんもって行ったのに、症状が出なくなったのです。

 痒いのは自分の苦しみですが、炎症で赤くなった顔を見て「どうしたの」と聞かれ、果てには高い水だの何だの売りつけられそうになる苦痛は他者の存在ゆえのものであり、皮膚というのは身体のいちばん外側にあって、内と外をつなぐものであり、分けるものでもあるのでしょう。肌バリアが弱くなると他人の視線まで跳ね返せなくなるのです。アトピー性皮膚炎の患者は、痒みと戦ううちに、自尊心と戦い、他人の目とも戦うことになってしまうのが厄介なところです。

 さて、留学中、症状が消えて一安心したのもつかの間、帰国して働き始めた途端、皮膚炎は再発したのですから、元の木阿弥。その後も大波小波を経て、ここ数年ようやく落ち着いたかと思ったところで、この2年アルコール消毒で手荒れがひどくなりました。手の皮がぼろぼろと剥ける。かゆい。いっそ手袋のように皮膚を脱ぎたい。気がつくと爪は皮膚を搔きむしり、どんなに化粧をし、クリームを塗り、表面を取り繕っても、そんな表皮はすぐにはがれるものだと言われているような気がします。脱皮をする前の蛇もこんなふうにむずがゆいのでしょうか。すべてが剥がれ落ちたとき、現れるのはいったいどんな姿なのでしょうか。

 

(*)プラトンゴルギアス』(加来彰俊訳、岩波文庫

(**)太宰治『皮膚と心』(『きりぎりす』新潮文庫所収)

(***)佐藤厚志『象の皮膚』新潮社