2023-01-01から1年間の記事一覧

解毒剤としての翻訳 『十六の言葉』によせて

ナヴァー・エブラーヒーミー著「十六の言葉」(*)を読んで、「やられた!」と思った。ひとつには、終盤、とある一行で物語がひっくりかえるその仕掛けに息をのんだせいだ。だが、それについてはここではふれない。これから手にするひとたちから、初読の驚き…

戦争とクリスマス

ウクライナとロシアの戦争も、イスラエルによるパレスチナへの非道な攻撃も一日も早く終わればいいのにと思っています。でも、「どうしてこんなひどいことを」とつぶやく度に、「人間だから」だという答えが浮かぶのです。だって、動物は保身と捕食以外に同…

ファム・ファタルの弁明 クラリモンドと椿姫

悪女ってなんでしょう。ゴーティエの『死霊の恋』を訳していてふと思いました。クラリモンドは死霊(La morte 今でいうゾンビとはちょっと違うので混同しないでね)にして吸血鬼、高級娼婦として男を誘惑し、その血を吸う怖い女です。でも、タイトルは『死霊の…

哲学はなにが「難しい」のか 坂道と階段

最初に哲学の入門書を引きうけたとき、しり込みする私に担当編集者は言いました。「専門書ではないし、あくまでも一般教養の範囲だから大丈夫」と。確かに、原書を読んでみると難しい言葉はあまりなく、日常語で書かれています。よしこれならと思ったものの…

怖くはないですか 

「怖くはないですか」とそのひとは問い、「怖いですよ。でも……。」と私は答えた。場所は中華料理屋。翻訳教室の懇親会。受講生の方からの質問は「フランス語の翻訳をしていても、舞台がフランス以外の国だったり、登場人物が外国人だったりすることがある。…

石の言葉 セヴェンヌ山脈と京都

登場人物に名前はない。それなのにこんなに感情移入できるのはなぜだろう。クララ・デュポン゠モノ『うけいれるには』(松本百合子訳、早川書房)は、障害のある子どもの成長と死を兄、姉、弟がどう「うけいれた」のかをたどる小説だ。個々の名が示されず、…

アルス・ロンガ 運ばれるもの

きっかけは坂本龍一氏の追悼番組だった。「東風」「チベタンダンス」、さらには沖縄民謡、アフリカの民族音楽。エキゾチックな魅力をちりばめた、彼の作品が、「文化の盗用」と言われずにきたのは、そういう時代だったからなのか、彼が異国のアーティストに…

エルノーの介護日記を読む

マネキンの着ているガウチョ・パンツをほしいと言ったら、店員さんがその場でマネキンの着ていたものを脱がし始め、なんだか心がざわざわした。その手つきが、母の下着を脱がすヘルパーさんの所作を思い出させたせいだと気づいたのは帰宅してからだった。ど…

近くて遠い父子  『夜の少年』とネトウヨの父

「好きな人」が「好きだったひと」になってしまうのは悲しい。変わってしまったのは相手の方かもしれないし、自分の方かもしれない。恋には心変わりによる別れがある。だが、家族はそう簡単に別れられない。 鈴木大介著『ネット右翼になった父』(講談社新書…

レーモンド建築にみる翻訳のありかた

先月、武蔵野市が期間限定で旧赤星鉄馬邸を公開していたので、行ってみた。アントニン・レーモンド設計ということで注目が集まっていたが、実際のところ、設計時のまま残っているのは一部分だけで、GHQの接収、ナミュール・ノートルダム修道女会への寄贈と所…

亡きひととともに生きる ボバンとオルヴィルール

宗教をひたすら避けていた時期があった。膝のじん帯を痛め、動けない私に池田大作の本をどんと送り付けてきた学会員の伯父が嫌いだった。大学に進むときもミッション・スクールは避けた(今にして思えば立教にも上智にも好きな先生はいたのだが)。それなの…

放尿記 薫とレーナ

タンポポの仏語名はダンデライオン(dent de lionライオンの歯)と聞くと勇ましいが、もうひとつの言い方、ピサンリ(Pissenlit)は、おねしょ(Pisse en lit) という意味も重ねもつ。おねしょで叱られた記憶はないが、トイレを探す夢は見る。トイレを探し…

大人の正義 キャプラと「成分表」

映画『素晴らしき哉、人生!』(*)を見て、最後にふと、悪徳実業家のポッター氏は最後まで改心しなかったのだなと思った。そして、彼がどこかで罰をくらうのを期待していた自分に気づいてしまった。勧善懲悪のパターン化したドラマなど見飽きていたはずなの…

誰かのだれか 私のわたし アンヌ&マリー

アンヌ・ヴィアゼムスキーが来日した時、シンポジウムのあとのQ&Aで、ゴダールのことばかり質問を重ねる参加者があり、苛立ったことを覚えている。そのとき上映されたのはガエルの『秘密の子供( L'Enfant secret)』で、ちょうど彼女の小説『Hymnes à l'…

物語を読む わたしの伯父さんと『物語のカギ』 

今年の元日のこと。「賀状にメールアドレスがあったので」と。御年90歳の伯父上から長文のメールが来た。拙訳書『京都に咲く一輪の薔薇』(*)を読んだというのだが、どうも「はじめて京都に来たフランス人の主人公」を「京都で生まれ育ち、久しぶりに帰郷し…