私は私の訳したもので出来ている、のか。

 永田さんの訳したものが好き、と言って下さる人がいる。素直にうれしい。それなのに、「なぜこの本を訳そうと思ったのですか」と問われると、「編集者から頼まれたので」などと素っ気なく答えてしまい、読者をがっかりさせてしまったこともある。実際のところ、最初の頃こそ、誰からも声をかけてもらえず、あれこれ持ち込みしていたが、やがて、出版社からのオファーに追われるようになってしまった。かといって、そうした本は嫌々引き受けたのかと言えばそういうわけでもない。信頼する編集者に引っ張り上げられ、背伸びして引き受けたものもあるし、昔のお見合い結婚のようなものだろうか、訳していくうちに好きになったものもある。

 思い出すのは、大学一年生の日々である。文学部の一年生は専修を決めるまでの一年間、一般教養課程(通称、パンキョウ)を過ごす。文学部とはいえ、法学部の教授による法学入門講義もあったし、心理学、哲学、東洋史、人類学もあり、フランス文学に絞るまでの一年、様々な分野の一流の先生から「入門講義」を受けた。門前の小僧はこれに味を占めてしまったというわけだ。この経験は実務翻訳でも活きた。インターネットのない時代、先輩から手書きの(!)用語集をもらい、入門書を数冊読んだだけの付け焼刃状態で翻訳し、先輩に直され、挙句の果てに誤訳が見つかれば所長と一緒に菓子折りをもって謝りに行った。今から思えば冷や汗ものだが、その延長線上に今の私がある。

 かくして私の翻訳は私がつくったものではなく、原著者と編集者と校閲と実務翻訳時代の先輩と、翻訳教室の師匠や仲間たちによってできているものであり、そうか、これが「相互主観性」というやつか、と永遠のパンキョウ学生は思うのだった。