続『私が本からもらったもの』 空気の本、果実の本

    石井桃子さんの言葉に

「子どもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから老人になってからあなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」(*)というものがあります。今になって思うと、私は恵まれた子ども時代を過ごしたと思います。そして、そのことが今の私を支えているのも事実です。でも、ふと思ったのです。じゃあ、子ども時代をたのしめないまま、大人になったひとはどうすればいいのかしら。

   昨年秋、JPICの企画したワテラス・ブックフェス2020の企画「わたしが本からもらったもの」で、駒井稔さんと対談したときのことです。子どもの頃のこと、気がつけばもう空気のように本に囲まれていたことなどをお話し、楽しい時間を過ごしました。ただ、帰りの電車でひとりになった途端、急に心配になりました。子どもの頃、家にこんな本があった、好きな本を好きなだけ買ってもらった話というのは、いわゆる「実家太い自慢」になるのかもしれないと思ったのです。もっとも、同じテーマで対談したほかの先生方の話を聞くと、私の体験など実に貧弱なもので、すっかり圧倒され、その後はそんなことを忘れていました。

 今年になってそんなことを思い出したのは、このときの対談が、冊子掲載の原稿とともに、書肆侃侃房さんから刊行されることになったからです(**)。校正用の原稿を読み直したところ、あの日、帰りの電車であれこれ思ったことが心によみがえりました。とはいっても、原稿が、対談の文字起こしである以上、当日発言しなかったことを付け加えるのもはばかられます。だから、せめてここに少しだけ記しておこうと思います。

「本からもらったもの」を問われて私は居場所と答えました。つらい子ども時代を過ごしている人にも本は逃げ場所、隠れ場所になります。子ども時代に本と出合わなかったひとのことも本は待っていてくれます。私のまわりには大人になって本を読み始めた人も少なからずいて、彼らの読みの深さに圧倒され、励まされることも多いのです。与えられたものではなく、自らの意志で手にした本は、空気のように存在したものではなく、手を伸ばしてもぎとった果実としてその人を支えるでしょう。冒頭に挙げた石井桃子さんの言葉も、子どもへの呼びかけであると同時に、だからこそ、大人は子どもが幸せであるために力を尽くさなくてはという決意のようにも思えます。実際、石井桃子さんは、誰もが自由に絵本を読めるよう、ご自宅の一部を開放し、「かつら文庫」を開きました。

「私が本からもらったもの」は、「私が本を通じて届けたいもの」へと続いているのです。

 

*『石井桃子のことば』中川李枝子、松居直、松岡享子、若菜晃子ほか、新潮社とんぼの本

**『私が本からもらったもの 翻訳者の読書論』駒井稔編著、書肆侃侃房