おうちのいのち

 

 母の一周忌が終わりました。長くて短い一年がすぎました。

 母の死はまた家の死でもありました。換気やら遺品整理やら、実家にいくたびに、それを思い知らされます。最初は匂いでした。締め切ったままの家には、独特の匂いが漂います。そして、庭。草が伸び、いつしかジャングル状態に。破けた網戸やふすまも、いずれ取り壊す家と思うと、修理がおっくうになりそのままにしていたら、ますます荒涼としてまいりました。

 古道具屋さんや古本屋さんにも来ていただきました。缶詰のたぐいは子供食堂へ、タオルは動物愛護団体へともらわれていきました。でも、いつまでたっても物はなくならないのです。押し入れから、天袋から、次々と出てきては、長らく実家に背を向けていた私を責めるのです。

 でもどんなに物があふれていても、そこにはもう人の暮らしを感じさせるものはありません。ある日、ふと見ると、リビングの時計が止まっていました。ああ、時計も死んだかと思いました。食器を処分しようとしたら、食器棚の戸がゆがんで開きませんでした。彼らも捨てられまいと必死に抵抗しているのかもしれません。

 母が亡くなったのは一月だったので、空き家には新品のカレンダーが下がっていました。毎月、実家にいくたびにめくっていったカレンダーもついに終わり、ようやく一年がたったのだと実感がわいてきました。

 バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」(石井桃子訳、岩波書店)の表紙には、副題として「HER STORY」と添えられているのだとか。父と母が40代で手にしたマイホーム、私が10歳から23歳まで過ごしたお家の物語はもうすぐ終わろうとしています。

 

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