2021-01-01から1年間の記事一覧

野十郎のロウソク 科学と詩情をつなぐもの

洋の東西を問わず、お灯明と言っていいのでしょうか。信者でもないのに、教会に行ってロウソクの光を眺めてるのが好きでした。年を重ね、お誕生日のケーキにロウソクを並べることはなくなりましたが、この季節になるとキャンドルの明かりに心惹かれます。 高…

一人っ子から見た兄妹の姿  ローラと禰豆子

子どもの頃、兄弟や姉妹のいる友人を羨んだことはありませんでした。むしろ、「一人っ子でかわいそう」と同情されることが嫌だったぐらいです。ところが、両親がふたりともこの世を去った時、私ははじめて兄弟がいないことを寂しく思いはじめました。 映画『…

自転車 乗るも乗らぬも親の愛

呉明益の「自転車泥棒」*は失踪した父とその自転車をめぐる物語である。だが、不思議なことに私の印象に残ったのは、父が疾走する前の話。語り手の母が自転車に乗る場面だ。「口減らし」のために、娘が遠くに連れていかれそうになり、母親は娘を奪い返すため…

続『私が本からもらったもの』 空気の本、果実の本

石井桃子さんの言葉に 「子どもたちよ 子ども時代をしっかりとたのしんでください。おとなになってから老人になってからあなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」(*)というものがあります。今になって思うと、私は恵まれた子ども時代を過ごし…

ワタシノバンナノデスカ 少女と老婆

母が亡くなってから、ふと鏡のなかの自分をみて、老婆のすがたに驚くことが増えました。介護から葬儀、実家の処分までの疲れがでたのかもしれません。コロナ禍のせいで人と会う機会が減ったことや、アレルギーのせいで髪を染めるのをやめたのも老け込んでし…

狂気のとなり  サルペトリエールとラ・ボルド

『狂女たちの舞踏会』(V・マス、早川書房)の訳者あとがきで、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン著、『ヒステリーの発明』(*)を引用しました。この本には、1880年代、写真家アルベール・ロンドたちが撮影したサルペトエリエール精神病院の患者たちの姿が…

となりの狂気  Crazy & Follement

今年4月に『狂女たちの舞踏会』(ヴィクトリア・マス著、早川書房)という訳書を出しました。タイトルは原題のLe bal des folles の直訳なのですが、思わず編集者さんに「この訳題そのままでだいじょうぶですね」と念を押してしまいました。そして、自分でも…

知らなくていいこと 勿忘草と青い自転車

「目に映るすべてのことはメッセージ」とは荒井由実の「やさしさに包まれたなら」の歌詞ですが、「後悔に包まれた」ときにも同じことが起こります。母が亡くなってからしばらく遺品整理のために実家通いが続いたのですが、玄関に広がった大きな蜘蛛の巣を見…

人馬一体 翻訳と競馬

大学生の時はじめて競馬場に行きました。当時まだ女性がひとりで競馬場に行くことは珍しかったと思います。赤いメンコのダイナアクトレスが好きでした。牡馬に混ざって奮闘する「彼女」に自分を重ねていたのかもしれません。最近は女性ファンも増えたし、女…

猫に育てられた犬 ベラとジョン

犬は犬として生まれるから犬なのでしょうか、犬に育てられるから犬になるのでしょうか。これはアイデンティティの問題であり、教育の問題です。まずは、映画『ベラのワンダフル・ホーム』の原作、W.B.キャメロン『名犬ベラの650km帰宅』(青木多香子訳、新潮…

他者の声で話すこと 翻訳と当事者性 

NHKのワールドニュースを見ていた時のこと、画面では女性キャスターがしゃべり、通訳の音声は男性の方でした。するとたまたま通りかかった夫がそれについて「女性が男性の声しゃべっているような気がして、なんか違和感がある」と言うのです。私にしてみれば…

まなざしのおはなし 映画『燃ゆる女の肖像』と智恵子抄

画家はとある令嬢の肖像画を依頼されます。写真のない時代、その肖像画はお見合い写真のようなものなのです。画家は「被写体」であるその令嬢を観察し、作品を仕上げていくうちに彼女に恋をしてしまいます。その結果、作品は、写実絵画から、ラブレターへと…

凧をあげる男 ロマン・ガリと長谷川集平

凧あげというとお正月のイメージが強いのは、冬の風が凧あげに向いているからでしょうか。もちろん、これは日本だけのことで、夏が凧あげのシーズンだったりする国もあるのです。コロナの影響で、エジプトで凧あげが流行という記事を読んだのは、2020年8月の…