狂気のとなり  サルペトリエールとラ・ボルド

  『狂女たちの舞踏会』(V・マス、早川書房)の訳者あとがきで、ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン著、『ヒステリーの発明』(*)を引用しました。この本には、1880年代、写真家アルベール・ロンドたちが撮影したサルペトエリエール精神病院の患者たちの姿が収められています。症例研究、病理分析の手段として、誕生したばかりの写真を採用したシャルコー医師の先進性に感服します。でも、同時に、同意もなく被写体にされた女性患者たちの心情を思うとつらくなる写真もたくさんあるのです。

   映画『スパイの妻』では蒼井優さん演じる聡子が自分はスパイであると告白するものの、妄言とみなされ、精神病院に入れられます。心配した知人が退院させてあげようともちかけるのですが、彼女は断ります。「私は一切狂ってはおりません。でも、それがつまり、私が狂っているということなのです。この国では」というセリフは、狂気と正気を分ける基準がいかに政治的、社会的なものであるかを物語っています。ある意味で、精神病院は、社会の荒波から女たちを守る楽園でさえありました。実際、患者さんたちの中には、社会復帰したいという願望と、ここを出たら一人では生きてゆけないという恐怖感が同居しているのでしょう。

 塀の中と外、狂っているのはどちらでしょう。長期化しがちな「社会的入院」は今も社会問題となっています。サルペトエリエールの舞踏会は患者たちを見世物扱いする言語道断の行為でしたが、患者と周辺住民の交流自体は、患者への理解を深め、社会復帰を促進するために必要なことです(**)。サルペトエリエールで症例写真が撮影され始めてから一世紀以上を経た2006年、写真家の田村尚子さんは、思想家ガタリが終生かかわったことで知られる精神病院ラ・ボルドで患者たちの生活を写真に収め、『ソーローニュの森』を刊行しました(***)。ここにあるのは、ちょっとだけ規格をはずれたものの、人間として人間らしく生きている人々の姿です。撮影した田村尚子さんご自身も、病院からパリに戻ったとき「社会の檻の中に戻ってしまった」と感じたと記しています。私の訳した『狂女たちの舞踏会』には小林エリカさんが「狂っているのは女たちなのか、それともこの社会のほうなのか」という帯文を寄せてくださいました。

 誰もが皆、狂気のとなりに生きていているのに、気づいていないのです。開かれた病院のためには開かれた社会が必要なのですが、塀は高くなり続け、結局のところ、誰もが檻のなかで生きているのかもしれません。あなたもわたしも。

 

*ジョルジュ・ディディ゠ユベルマン著『ヒステリーの発明』谷川多佳子、和田ゆりえ訳、みすず書房

**石川信義著『心病める人たち 開かれた精神医療へ』岩波新書

***田村尚子写真集『ソーローニュの森』医学書

「正常」とは何ですか? 写真家・田村尚子インタビューhttp://wired.jp/2012/10/06/clinique-de-la-borde/

 

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