2022-01-01から1年間の記事一覧

拝啓 市河晴子さま

『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(*)、旅先からの絵葉書を受け取ったかのように胸躍らせながら、拝読いたしました。そしてお返事を書きたくなりました。ご無礼かもしれませんが、「三喜さんと歩調を合して大股に歩き」、「対等ということはそれほどむずか…

自分で決めたから クレーヴの奥方と手袋

『ル・クレジオ、文学と書物への愛を語る』(*)にこんな記述がありました。 「他に類がないほど道徳に凝り固まった小説―ーフランス文学では十七世紀にラ・ファイエット夫人によって書かれた『クレーヴの奥方』でしょうーーであっても、教訓はやはり曖昧です…

生まれてきてくれてありがとう 『ベイビーブローカー』と『水枕羽枕』

怒るのが下手なのでしょう。恐怖や嫌悪が先に立ち、まずは逃げてしまいます。でも、それで終わりとはいかず、胸の動悸が収まった頃にもういちど現場に戻ってしまうことがあります。あれはいったいなんだっただろうという好奇心とともに。 6月頃でしたでしょ…

飛行機工場の少女  「紅の豚」と武蔵高女の先輩たち

宮崎駿監督の「紅の豚」を見るたびに胸が苦しくなるシーンがある。男たちが出稼ぎに出て、残った女ばかりで飛行機を造るシーンだ。若い女性設計士ピノの設計した飛行機を造るために、親戚中の女たちが集められる。飛行機=男のものという常識を翻す女性たち…

老いを読む、老いを書く

更年期だ、老眼だと落ち込む私を知ってか知らずか、身につまされる本をW氏からいただいた。「作家の老い方」(草思社)という本で、芭蕉から穂村弘まで老いをテーマにした詩歌、エッセイなどがずらりと並ぶアンソロジーだ。堀口大學、杉本秀太郎、吉田健一、…

お花畑の下にあるもの ひまわり、なのはな、桜の園

フランスにゆくまで、私にとってひまわりは「花」だった。だが、フランスのスーパーの食品売り場をうろうろしていると、自炊を始めたばかりの私の目に「L’huile de tournesol」というひまわりの花の絵が描かれたラベルが目に入った。ヒマワリ油。映画「ひま…

かわいそうな象の旅 リスボンからウィーン、長崎から江戸

「かわいい」という言葉は本来、「小さくて弱い者」に向けられるものである。つまり、象は仔象をのぞき、「かわいい」とは言い難い。だからこそ、象は「かわいそう」なのである。大きく、賢く、ガネーシャや普賢菩薩の乗る象など神格化される一方、虎の威を…

岩波ホール 惜別

2022年7月29日岩波ホールが閉館しました。高校生の時から何度も通った映画館です。映画「女の一生」が公開された折、試写会や「友の会」の講演に呼んでいただいたのも良い思い出です。その一方で、しばらく前から「友の会」会員や、観客の平均年齢の高さ(い…

誤字の取りこぼし 貝殻と宝石 

新しい訳書が出ると人並みに評判が気になり、ついインターネットを検索してしまう。なかには誤植、誤訳のお指摘もある。もちろん、ご指摘には感謝しているし、おのれの不注意、力不足を恥じつつ、そしてまたそこまで丁寧に読んでくれたことを思うと、嬉しく…

 「死にたい」と「モテたい」

父が亡くなってしばらく、「死」という字すら怖くなった。死亡や死去と書くことすらできず、「没」や「逝去」という表現に逃げた。亡くなるが「無くなる」や「失くなる」に誤変換されるたびに虚を突かれた。そうやって逃げ回ったとて死から逃れることはでき…

「動物たちの家」で待っていた犬

バスのなかで見覚えのある顔を見つけた。その界隈ではちょっとばかり有名な本屋の店主さんである。常連客でもお得意様ではない私はご挨拶するきっかけを失い、彼の手の中にある本を見ていた。緑色のハードカバーに犬の絵。犬好きの私は、心惹かれつつも、そ…

切りては結ぶ「と」のはなし 一文字の翻訳論

仕様の問題か、書き手の問題かはわからないが、ツイッターを見ていると、時々、それが本人の弁なのか、引用なのかわかりにくいことがある。140字という制限のなかで、鍵括弧(「」という記号)や「~によると」といった説明を省きたくなるのはわかる。だが、…

記憶の記録 アンネとお聖さん

日記について書こうとした矢先、『シモーヌ』5号(*)が日記特集であることを知った。さっそく手に取ると、執筆者の考察の深さに圧倒され、誰かが先に書いてくれたのなら、もうここに書く必要はないとさえ思って、一度はお蔵入りさせた小文なのだが、そもそ…

アルマンの弁明 文学の楽しみ方

NHKの朝のドラマ「カムカム・エヴリバディ」でヒロインの夫ジョーが髪結いの亭主よろしく働かずにいることが話題になりました。もっと前に放送された「あぐり」では、ヒロインが美容師ですから、エイスケさんはまさに「髪結いの亭主」でしたっけ。 ところで…

遠くて近い戦場のこと

戦争は嫌です。戦争をしてはいけません。でも、戦争は始まってしまいました。この一週間で考えたことを書いておきます。 極論を言うなら、いま、一番「早く」戦争を終わらせる方法はウクライナが抗戦せず、白旗を挙げることです(もちろん「最善」の方法では…

江戸時代の人魚  アンデルセンと松岡青蘿

「荒海に人魚浮けり寒の月」(*)という俳句に出会ったときの驚きをどこから話せばいいでしょう。子供の頃、最初に出会った人魚は、アンデルセンの「人魚姫」、その次が小川未明の「赤いろうそくと人魚」だったでしょうか。この2作品の影響で、私にとって人…

アトピー戦記  ソクラテスから蛇の皮まで

かゆいのはつらいのです。痛みが体の悲鳴なら、痒みは身体の愚痴です。プラトンの『ゴルギアス』にこんな話があります。ソクラテスはカルレクリスに「ひとが疥癬にかかって、掻きたくてたまらず、心ゆくまで掻くことができるので、掻きながら一生を送り通す…