拝啓 市河晴子さま

 『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(*)、旅先からの絵葉書を受け取ったかのように胸躍らせながら、拝読いたしました。そしてお返事を書きたくなりました。ご無礼かもしれませんが、「三喜さんと歩調を合して大股に歩き」、「対等ということはそれほどむずかしいもんかしら」とお書きになっているあなたのこと、きっとお許しくださることと思います。

   中国、ロシア、西欧、中欧アメリカまで本当に世界中を回られたのですね。どうやら、ミュージアムや劇場よりも、大きく広い場所がお好きなご様子。ピラミッドなど、一緒に天まで上り詰めたくなりました。動きのある描写がほんとうにお上手で、「私は自分を、その場所からひっぺがすようにして、麓の関門のあるところまで滑り下りた」という表現には思わず笑ってしまいます。現地でメモをとっていたとも思えないのに、何もかも覚えておけるなんてなんという記憶力と筆力でしょう。闘牛の場面など、中継を見ているかのようでしたもの。テレビレポーターに爪の垢を煎じて飲ませたくなるくらい、臨場感のあるレポートで、とても九十年近く前のこととは思えませんでした。今の世ではテレビだの動画だのというものが普及し、何かを見たままに描写することができる人が減っているように思います。そうそう、昨今、牛が可哀そうという理由で闘牛の存続が問題になっているのも、あなたが予想していたとおり。おみそれいたしました。

    列車や船でもの想いにふける移動時間も活写とは異なる趣を感じました。「足元……船の足元からは飛魚が、ある時は着水する飛行機のように波に跡をつけ、またある時は水銀の玉がころがって行くように光りながら逃げて行く。船はしずしずと飛魚を左右に蹴散しながら故国をさして進む」のあたりなど、飛魚を人魚に置き換えれば、そのままシュペルヴィエルの詩になりそうです。

  最後の旅もまたあなたの行動力と思い切りの良さがそうさせたのでしょうか。「目の前にいる愉快な友人をどうしても引き留められないような、一抹の切なさも味わわされる」というのは土井礼一郎氏が長谷川春子さん(そういえば、同じハルコさんで、お年も近いご様子)の画文集に寄せた一文なのですが(**)、晴子さんの最後の旅についても同じことを感じてしまいました。ああ、でも、訪れた場所が次々と戦地となるのをあなたが見ずにすんだのは不幸中の幸いだったのかもしれません。あら、いけませんね。こんな話はよしましょう。だって、本を開けば、晴子さんは今も旅を続けているのですもの。Bon Voyage! また本のなかでお会いいたしましょう。 

                                                                                                                          敬具

 

 

(*)高遠弘美編『欧米の隅々 市河晴子紀行文集』(素粒社)

(**)長谷川春子『踊る女と八重桃の花』(共和国)についての歌人土井礼一郎氏の書評(東京新聞2022-06-04掲載)より、戦時中、国威発揚の活動にいそしんだ春子を惜しんでの言葉。長谷川春子は1895年生まれ、1929-1931年フランスに留学、市河晴子は1896年生まれ、欧州の旅は1931年。