江戸時代の人魚  アンデルセンと松岡青蘿

  「荒海に人魚浮けり寒の月」(*)という俳句に出会ったときの驚きをどこから話せばいいでしょう。子供の頃、最初に出会った人魚は、アンデルセンの「人魚姫」、その次が小川未明の「赤いろうそくと人魚」だったでしょうか。この2作品の影響で、私にとって人魚は、人間に翻弄されるかわいそうな存在であり、その一方で人間ならすぐに死んでしまいそうな冷たい海を泳ぐことができる強い生命力をもつ存在となりました。

   そして、「荒海に人魚浮けり寒の月」という俳句はまさにそのイメージにぴったりのものだったのです。作者の名前は松岡青蘿。ちょっと見たところ、今どきのきらきらネームにもありそうです(実際、検索したら、松岡せいらちゃんという女の子の画像がいっぱいでてきました)。ところが、この松岡青蘿さん、1740年の生まれ、江戸時代の俳諧のひとです。アンデルセン(1805 – 1875)よりも、小川未明(1882- 1961)よりもずっと前、月夜の海辺、しかも日本の海で人魚を見ていた人がいたというだけで何とも不思議な気持ちになりました。

 シュペルヴィエルの作品にも人魚が出てくるものがいくつかあります。

 

錨があがる、錨の腕の中で /人魚が一匹あばれている /怪我にも気づかない程の怒りようで /腹立ちまぎれに海へとびこんでしまう。(**)

 

 人魚はいつも人間の身勝手に怒っているのです。人魚は荒波に流されそうになっているのではないのではなく、ひとが船を出せないように、荒波をたて、自分たちの海を守っているのです。ときに船を沈め、人間を殺すことさえ厭わない恐ろしい存在でもあるのです。寒い月夜、青蘿の見た人魚は怒っていたのでしょうか、それともただ浮いたり沈んだり、遊んでいたのでしょうか。

 

 

 

(*)中村真一郎「俳句の楽しみ」

(**)堀口大學訳「出帆」(「シュペルヴィエル抄」小沢書店)