人馬一体 翻訳と競馬

  大学生の時はじめて競馬場に行きました。当時まだ女性がひとりで競馬場に行くことは珍しかったと思います。赤いメンコのダイナアクトレスが好きでした。牡馬に混ざって奮闘する「彼女」に自分を重ねていたのかもしれません。最近は女性ファンも増えたし、女性騎手の活躍も目覚ましく、牝馬も強くなりました(アーモンドアイもディアリングタクトも!)。

 競馬の世界では馬七、人三といいます。勝負を決めるのは、馬の力が七割、騎手の腕が三割ということです。これを聞いたとき、翻訳と同じだと思いました。原書の力が七割。面白くない本は誰が訳そうと面白くはなりません。訳者や編集者が主題やストーリーを変えるわけにはいきませんから、まずは原書の魅力。翻訳者にできることは限られています。

 武豊さんは(はい、私、武騎手の大ファンです)、とにかく馬の邪魔をしないのが騎乗のポリシーだとおっしゃっていました。翻訳者にできることは限られているからこそ、まずは邪魔をしないこと。原書の魅力を伝えるために余計なことをしないこと。もちろん騎乗スタイルが騎手によって違うように、原書や訳者の個性や相性によってこれが正解ということはありません。

  もうひとつ、レースで注目されるのは馬と騎手ですが、その裏には調教師、育成者、バレット、厩務員、獣医など、さまざまな裏方がいるあたりも競馬と翻訳の似ているところです。本の表紙に名前が印刷されるのは原著者と翻訳者だけですが、その裏には、編集者、校正者、デザイナーなど、たくさんの方々が支えてくださっています。何だか装蹄(馬の蹄鉄をつけるお仕事)と装幀が同音異義語なのも偶然とは思えなくなってきました。

  シュペルヴィエルの短編に「競馬の続き」という話があります。人馬一体をめざすあまり馬になってしまう騎手の話です。翻訳もまた原文と一体になり、ときに共犯者となることも辞さず、一緒に走っていけたらと思うのです。幸い、翻訳に順位はつきませんし、騎手と違って翻訳者には体重制限もないので、とりあえずは完走を目指して。