怖くはないですか 

 「怖くはないですか」とそのひとは問い、「怖いですよ。でも……。」と私は答えた。場所は中華料理屋。翻訳教室の懇親会。受講生の方からの質問は「フランス語の翻訳をしていても、舞台がフランス以外の国だったり、登場人物が外国人だったりすることがある。自分の知らない国について訳すのって怖くないですか」とのことだった。

  コロンビアに行ったことはないのに、コロンビアの政治家のノンフィクションを訳したことがある。老いを知らない若いころに、老女を主人公とした作品を訳したこともある。もちろん、ネットを検索し、参考書を読み、できる限りの努力はする。それでも、怖い。だから、私は彼にこう答えた。「怖いです。でも、どこかで腹をくくらないと、怖がっていたら何もできませんよ」。締め切りを口実にし、文学の普遍性を信じ、完ぺきではないとわかっていても、一冊の本をこの世に送り出す。自分のできる精一杯のことをして、あとは編集者や読者の判断にゆだねる。ただの蛮勇と言われればそれまでだが、プロとして請け負う以上、間違いを指摘されれば謝り、批判を背負うことを選ぶしかない。そんなふうに私は答えた。

   冒頭の問いかけをしたひとはとても純粋な方なのだ。その後、もう一度お会いする機会があり、短歌の話をした。共通の師や知り合いかいることもわかった。彼は臆病なのではない。怖がることが大事だ。私自身、「翻訳者に必要な資質」を問われ、「謙虚さ」と答えたことがある。原文という他人さまの表現を預かっている以上、自分の理解が絶対ではないという思いは消えないし、思いあがってはならないと思う。あの日、質問者の方の真摯なまざしは、彼ならきっと一生をかけて一冊と向き合い、舞台となった場所をすべてめぐるまで納得しなかいことだろうと思わせるものがあった。その質問者の方は昨年とつぜんに、この世を去ってしまったのだ。

 私は今も彼の無垢な探求心をうらやみ、彼が世に問うことのなかった一冊に嫉妬している。