凧をあげる男 ロマン・ガリと長谷川集平

 凧あげというとお正月のイメージが強いのは、冬の風が凧あげに向いているからでしょうか。もちろん、これは日本だけのことで、夏が凧あげのシーズンだったりする国もあるのです。コロナの影響で、エジプトで凧あげが流行という記事を読んだのは、2020年8月のことでした(★1)。日本でも、このお正月、凧の売り上げは例年の3倍ですとか(★2)。

 昨年、ロマン・ガリの『凧』(共和国)という訳書を刊行しました。フランスの凧は日本の凧とデザインがだいぶ異なりますが、あの糸を引いているつもりが引っ張られてしまう不思議な感覚に変わりはありません。変人扱いされても、お役人に目をつけられても(戦時中は凧あげが禁止されてしまうのです)、収容所に連行されてまで、凧をつくり、凧を上げ続けた主人公の伯父さんにとって、凧は希望であり、未来でした。そして、伯父さんと暮らす主人公リュドにとっては、手の届かない恋人でもあったのです。

 そういえば、テレビでも凧を上げ続ける姿を見たことがあります。ずいぶん前のテレビドラマ「理想の上司」で長塚京三さんの演じた中年男性が、会社と部下の板挟みになり、悩むたびに凧をあげにゆくのです。凧は自由の象徴であり、地上のしがらみから逃れたい自分の分身でもありました。凧は飛行機よりもずっと前から、地上に生きる人々が、空へのあこがれを託す存在だったのです。

 もう何年も凧あげなんてしていないのですが、手が覚えています。最初は糸を短めにもって走り、ふわりと風に乗ったところから少しずつ糸を伸ばします。やがて、凧は小さくなり、いつしかこちらを見下ろしているのです。こうなるともう凧をあげているのか、逃げようとする凧を引き留めているのか、わからなくなります。

 長谷川集平さんの絵本『土手の上で』(リブロポート)にも凧あげ名人が登場します。見た目はさえないおじさんです。でも、彼は主人公の少年にとって、どんなヒーローにも負けないかっこいい人なのです。おじさんが、「風にふっと投げ込」んだ凧はやがて「青空に溶けてしまう」のです。絵本ならではの緊張感があり、頁をめくるごとに凧は高度を上げ、気持ちが高まっていきます。

 閉塞感が高まる中、凧を求めるひとが増えるのは、なんとなくわかるような気がします。昨年2月にガリの『凧』を刊行した直後に、コロナの感染拡大、緊急事態宣言のため多くの本屋が臨時休業や時短営業になり、なんとタイミングの悪い時期に刊行してしまったかと思いました。でも、その一方、読んでくださた方からは、こういう苦しい時期だからこそ、この本を読めてよかったという声がありました。凧を求めるひとは風を求めているのです。凧をあげているあいだ、人がうつむくことはありません。

 

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