切れる糸 つなぐ糸      

 子供の頃、私は母の手作りの服を着ていました。小学校の上履き袋も体操着袋も母の手作りでした。でも、母は不器用な人でした。何か作らなくてはならなくなると布と糸を買ってくる。残った端切れや糸はとっておくのだけれど、いつの間にか忘れてしまい、次に必要になるとまた新たに布や糸を買い込んでくる。しかも、失敗することを前提に、少し多めに購入するものですから、ほんの少ししか使っていない糸や布がたくさん残っていきました。

 こうして再利用の機会を逃しつつける一方で、母はまた環境に配慮する人でもありました。糸巻きを捨てようとすると、芯の部分がプラスティック製や金属製のものがあります。糸は可燃物で、芯の部分はプラゴミもしくは不燃ゴミです。こうなるともう残った糸をそのまま捨てることすらできなかったのです。

 そんなわけで母の遺品の中には、大量の布地と糸がありました。処分を進めていたちょうどそのとき、刺繍アーティストの沖潤子さんが作品に使用する糸巻きを募集しているということをツイッターで知ったのです。どんな方だろうとお名前を検索して、その作品に息をのみました。手仕事の細やかさをもちながら、小さくまとまることなく力強い作品は、まさに作品集のタイトル『PUNK』(文藝春秋)のパワーを感じるものでした。さらに、その数週間後、沖さんの別の作品と本屋で再会します。若松英輔さんの『悲しみの秘義』が文庫化され、その表紙が沖潤子さんの作品だったのです。『悲しみの秘義』は、近しい人を失った悲しみをテーマに詩を紹介した本です。以前、単行本で手にしたときは、まさかこの本をこのような実感とともに読み返す日が来るとは思っていませんでした。

その後、神奈川県立近代美術館の館報『たいせつな風景』で、沖さんご自身の出発点もお母さまの遺品だったことを知り、勝手ながらますますご縁を感じるようになりました。沖潤子さんの作品「anthology」は、山口県立萩美術館で2021年3月まで公開されています。母の死によって、切れたように思えた糸は、思わぬかたちでもっと遠くへとつながってゆきました。

 

反歌

ひらひらとちょうちょ結びの羽が解け ただいっぽんの地平にもどれり

手許より落ちし糸巻ひとすじの道をつくりてわれをいざなう

 

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