母について ヴィルジニーのプライド 1

 母が死んで何がつらいって、ちっとも悲しくないことがつらい。あんなに大事に育ててもらったのに。父が死んだときはあんなに悲しかったのに。空っぽになった実家にいくとわいてくる感情は悲しみではない。怒りや自責の念や憤懣やるかたない気持ちはあっても、それは悲しみではない。
 思えば、父が亡くなったときは、ちゃんと悲しむことができた。私は、父の死に責任を感じることがなかったし、病名から治療法まで父自身の選択に納得がいっていたからだ。だが、母に関しては、いつまでも、「もしあのとき」という思いが消えない。

 母の葬儀には多くのひとが訪れ、母の社会貢献を讃えた。母は愛されることよりも、尊敬されることを選び、それゆえに孤独だった。他人と距離をおき、孤高を気取ることが彼女のプライドだった。
 遺品整理をしていたら、生理用品がたくさん出てきた。しかも比較的最近買ったものばかりだ。そこでようやく母が尿漏れをひどく気にしており、粗相をするのがいやで、外出をしなくなり、そこから足が弱り、老衰を早めたことに思い当たった。あれだけ多様な尿漏れパッドや、老人用おむつがあるのにそれを知らず、昔の知識を頼りに生理用品を購入し、自分だけで何とかしようとしていたに違いない。娘にも姉妹にも友人にも、薬局の店員にも相談できなかったその頑固さを思うと、悲しいというより腹が立ってきてしまうのだ。「ポールとヴィルジニー」のヒロイン、ヴィルジニーは船が難破しても、ドレスを脱ごうとせず溺れ死ぬ。プライドを否定してはならぬと思う。だが、プライドを捨てても生にしがみついてほしかった。そうすれば、何かもっとできることはあったはずなのにと思ってしまう。
 もっと楽しい思い出もあったはずなのに、今はまだ思い出せない。