エルノーの介護日記を読む

 マネキンの着ているガウチョ・パンツをほしいと言ったら、店員さんがその場でマネキンの着ていたものを脱がし始め、なんだか心がざわざわした。その手つきが、母の下着を脱がすヘルパーさんの所作を思い出させたせいだと気づいたのは帰宅してからだった。どうもまだ立ち直っていないらしい。四年前の一月、「母死去」と日記に漢字三文字を記しながら、カミュの「異邦人」の冒頭部分そのままだなと気づいた。「きょう、ママンが死んだ」私は母を「ママン」と呼んだことはなかったけれど。これは私だけの体験ではない。アニー・エルノーの『Je ne suis pas sortie de ma nuit(私は夜から抜け出せない))』にも、母の死んだ日、「母が死んだ」と綴り、「たとえフィクションでももう二度とこの言葉は使えそうもない」と続ける。

 『Je ne suis pas sortie de ma nuit』は、1999年に刊行されている。そうだ、彼女が「ある女」で書いたあの母親だ。その筆致はいつもながら硬質で感傷とは無縁だ。何度も「泣く」という動詞が出てくるのに、崩れない。夜から出られないという題を見て、裏表紙の紹介文を読み、介護の苦しみ、母の死から立ち直れない悲しみを書いたものかと思ったが、読み進めるうちに違うとわかった。死んだ母そのひとが最後に書いた言葉こそが「夜から出られない」だったのだ。しかもla nuit ではなく、ma nuit。夜は、闇は自分のうちにある。

 母について書くのは難しい。実際、私も何度か母のことを書こうとしたけれど、いつも「かわいそうなお母さん」「かわいそうな私」のどちらかになってしまう。壊れていく母を見ていた日々、書き留めた言葉はやけに感傷的で私はまだ読み返せずにいる。だが、アニー・エルノーが自分の母親の最期を書いた『Je ne suis pas sortie de ma nuit』を読むうちに、気がつけば、あの日々をなぞり返している。感傷を排除した彼女の文体があるからこそ、私は彼女と一緒に過去を振り返ることができるようになるのだ。