母と娘 アンヌとシモーヌ

 ここ数か月、心のなかで何度もアンヌ・フィリップの「Je l'ecoute respirer」を読み返していました。「心のなかで」というのは、実家と自宅の往復でへとへとになってしまって、本を開く余裕がなかったから。いいえ、ほんとうは、その本をひらき、心に浮かんだ頁を読み返したりしたら、泣いてしまうことがわかっていたから。
 「Je l'ecoute respirer」は、晶文社から吉田花子さんの訳『母、美しき老いと死』として刊行されています。原題を直訳すると、「息遣いに耳をすませて」。ただひたすら息遣いに耳をすませ、息が荒いと苦しいのではないかと心配し、静かだと息絶えてしまったのかと覗きこむ。そんな日々のなかで母親との思い出がつづられているのです。
 もう一冊、シモーヌボーヴォワールの「おだやかな死  Une mort très douce」も、落ち着いたら読み返したい一冊です。これも母を送る娘の物語。わたしと母の最期の日々は「美しい」とも、「おだやか」とも言えるものではなく、長い介護生活が始まるのだと覚悟を決めた矢先に、別れがやってきました。
 アンヌ・フィリップには夫ジェラール・フィリップを看取ったときの『ためいきのとき』(角田房子訳、ちくま文庫)もあります。若き夫の死に比べれば、老母の死は順当なものであり、覚悟もできていたはずなのに、それはまたそれ。

挽歌
母の老い見つめる先に闇があり いつか私も行き着くところ

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