レーモンド建築にみる翻訳のありかた

 先月、武蔵野市が期間限定で旧赤星鉄馬邸を公開していたので、行ってみた。アントニン・レーモンド設計ということで注目が集まっていたが、実際のところ、設計時のまま残っているのは一部分だけで、GHQの接収、ナミュールノートルダム修道女会への寄贈と所有者が変わるたびに増改築してされてきたものらしい。そして、その変遷こそが「生きている」かのようで私には楽しかった。

 お屋敷やクラシックホテルが好きというとブルジョワ趣味のようだが、そしてその通りかもしれないのだが、私がいちばん惹かれるのは和洋折衷の在り方なのだ。子供の時住んでいた借家がGHQの払い下げ住宅だった。1960年代、杉並区善福寺にはまだそんなものが残っていたのだ。いわゆるアメリカ村ほどおしゃれではない。それでも、水色に塗られた天井板や造りつけのクローゼット、ちょっとした出窓などがあったのを覚えている。写真が残っていないのが残念だが、木桶風呂の横にビデがあり、畳の幅と部屋の大きさがあわず、板間を足して帳尻合わせをした和室もあった。

 この家がすべてを決めたとは思わない。だが、翻訳を仕事とするようになるずっと前から、私のなかには何か洋の東西を結ぶもの、異文化と自国の文化のあいだで折り合いをつけようとする行為に惹かれるものがあった。旧赤星邸にはノエミ・レーモンドがデザインした和服用の箪笥が洋間に溶け込んでいた。のちに増築された修練室には畳敷きの部屋もあった。そこに住むひとのための工夫や改変が私にはどこか懐かしく、愛おしかった。同じことは翻訳にも言える。他国の文化を取り入れ、時代にあわせて訳語を変えながら書いた人と読む人をつなぐ。リフォームを繰り返しながら古典という書物を暮らしのなかに残す。そんな翻訳ができたらいい。

 歴史的建造物という意味では建築時そのものの保存、再現が望ましいことはわかっている。だが、暮らす人に寄り添った変遷もまた、建築物や書物がただの物体ではなく、人の営みを包括する容れものである証なのだろう。古典を訳しなおすたびに、既訳、旧訳の復刊ではだめなのかという思いがよぎるのだが、その答えを見つけたような気がする。