戦争とクリスマス

  ウクライナとロシアの戦争も、イスラエルによるパレスチナへの非道な攻撃も一日も早く終わればいいのにと思っています。でも、「どうしてこんなひどいことを」とつぶやく度に、「人間だから」だという答えが浮かぶのです。だって、動物は保身と捕食以外に同族を殺さないでしょう。

  もうすぐクリスマス。第一次世界大戦中、クリスマスの間は休戦になり、敵対する英仏兵とドイツ兵がともにクリスマスを祝ったという実話です。戦争のさなか、人間が人間らしい感情を取り戻したエピソードとして、映画にもなりましたし(*)、絵本にもなりました(**)。

  でも、私はこの話に人間の恐ろしさを感じるのです。クリスマスの休戦が成立したのは、両軍が「同じ神様を信じていたから」です。裏を返せば、宗教が異なろうと(イスラエルパレスチナのケース)、宗教が同じであろうと(ウクライナロシア正教と同様、1月にクリスマスを祝っていましたが、戦争が始まって以降、12月に祝うようになったそうです)、戦争は起こるのです。宗教戦争という名目は受けいれられやすく、一神教は排他的だという言説は日本人の自尊心をくすぐります。でも、そんなのは表面的なもので、結局は、宗教(という抽象概念)ではなく人間が人間を殺しているのだという事実が、独仏戦争の歴史から浮かび上がります。その後、欧州は統一されましたが、人間の本質は変わっていないのかもしれません。

  もうひとつ、私が想像するのは休戦開けのその日のことです。クリスマスの翌日(一部ではクリスマスから新年まで休戦が延長されたらしいのですが)、兵士たちは一緒にイエスの誕生を祝した相手に再び銃口を向けることができたのでしょうか。一昨日は敵、昨日は友、今日は再び敵と気持ちを簡単に切り替えられることのほうが私には恐ろしく思えます。クリスマス休戦は1914年の話であり、1915年以降、人々はクリスマスも戦場で血を流しあい、第一次大戦は1918年まで続きました。戦争が長引くにつれ、肉親を失い、心身を傷つけられ、敵への憎悪は募っていったのでしょう。

   第二次世界大戦を舞台とした映画「戦場のメリークリスマス」(***)で、「Merry Christmas Mr. Lawrence」という言葉は、異教徒である敗者より、かつての敵にむかって呼びかけられます。

メリークリスマス。あなたとあなたの愛する人のために。

メリークリスマス。あなたがどうしても愛せない人のためにも。

 

(*)『戦場のアリア(原題:Joyeux Noël)』クリスチャン・カリオン監督、2005年

(**)『戦争をやめた人たち -1914年のクリスマス休戦』鈴木 まもる、あすなろ書房、2022年

(***)『戦場のメリークリスマス大島渚監督、1983年