メラニーとダイアナ

 「風と共に去りぬ」を読んだ後、「メラニーのようになりたい」と言った友人がいた。いやいや、なれるものならスカーレットになりたいと私は思った。「メラニーなんてスカーレットの引き立て役に過ぎないじゃない」という人もいた。いやいや、そんな単純なものではない。スカーレットにはメラニーが必要なのだ。
 脇役や副主人公に目がいってしまうのはいつからだろう。さかのぼれば、ダイアナ
だ。「赤毛のアン」を読んだ私はアンの破天荒ぶりに惹かれると同時に、アンのような自由闊達な子が同じクラスにいたらどうだろうと想像してみた。ヘンな子ねと距離を置いてしまうかもしれない。彼女の才能に嫉妬し、身もだえし、意地悪したくなってしまうかもしれない。でも、ダイアナはアンを心から賞賛する。そして腹心の友となるのだ。
 作家たちは、主人公が孤立しないようにメラニーやダイアナを生み出す。そして脇役に自分を重ねていた私はといえば、才能ある作家に寄り添う仕事、奔放な作家の声を読者にむけて代弁する仕事に就いた。翻訳者もまた、メラニーであり、ダイアナなのだ。