世界の中心 マルティニークと沖縄と

  台風一過、とりあえず、自分と自分に近しい人だちの安全を確認すると、ああ、よかったと安堵し、翌日のニュースで多くの人が被災したことを知る。震災のときもそうだった。東京のアパートで私が割れたグラスを惜しみ、棚から落ちた本を拾っていたとき、東北では津波が起こっていたのだ。都市部に生活していると、なかなか遠い場所まで考えが及ばない。まして、海の向こうとなると……。

  マルティニークを舞台とするジョゼフ・ゾベルの小説「黒人小屋通り」(松井裕史訳、作品社)の書評を図書新聞に書かせていただいた(2019年6月8日3043号)。その校正時のことである。マルティニーク島に生まれた少年にとって、かつては、自分の生きる島が世界のすべてであったが、成長とともに、自分の今いる世界の外に、フランス「本土」があることに気づく。自分で書いておきながら、ふと目に留まったのは、この「本土」という表現である。植民地時代なら、フランスは「宗主国」だろう。だが、マルティニークが海外県となった現在、フランスは何なのか。結局、「本土」を「本国」としてゲラを戻したのだが、自分のなかで治まりの悪いものを感じた。フランスが「本国」ならば、マルティニークは「支国」なのか、「分国」なのか。いや、そもそも、最初に、「本土」という言葉を使ったとき、私の頭のなかにあったのは、沖縄なのではなかったか。

 「黒人小屋通り」の人たちはサトウキビ畑で働く。少年は道のわきに這えたマンゴーで空腹を満たす。サトウキビとマンゴーのイメージが、「マンゴーと手榴弾」(岸政彦著、勁草署書房)を読んだばかりの私に沖縄を想像させたのだろうか。本国の決めたルールを押し付けられ、そのわりには、「本国並み」の教育や医療が実現されていないフランス海外県の実情と、それに対する怒りに、東京育ちの私が沖縄を重ねるのは、不遜なことだとわかっている。辺境という言葉を安易に使ってはならない、そこに生まれた者、そこに暮らす者にはそこが世界の中心なのだいうことは肝に銘じておきたい。