墓前で泣く青年 「野菊の君」と「椿姫」

  御彼岸です。お墓参りの季節です。墓地を歩いていると、墓に取りすがって泣く青年の姿が頭をよぎります。しかも、二人。ひとりの名は政夫、もうひとりは、アルマンです。

  政夫は、野菊のような人、民子に心を寄せますが、先回りした親が、民子を説き伏せ、よそにお嫁にいかせます。嫁ぎ先で病に倒れた民子は早々に亡くなり、あとからそのことを知った政夫は、「野菊の墓」で、涙にくれるのです。

  秋が菊なら、春の彼岸に似合う花はなんでしょう。墓地の片隅、ぽとりと椿が落ちているのもよく見かけます。「椿姫」には印象的な墓地でのシーンがあります。「椿姫にそんな場面あったっけ」とおっしゃる人は、きっとオペラの「ラ・トラヴィアータ」を思い浮かべているのでしょう。墓地の場面は、原作、すなわち小説の「椿姫」にしかないのです。主人公、アルマンは、恋人マルグリットの死に目に合うことができず、その墓の前で泣き崩れます。先回りした親の説得によって、身分の低い女が身を引くというあたりは、「野菊の墓」と同じ。

 諦めきれないアルマンは、墓を移すという口実で、その遺体を掘り出すことまでしてしまいます。この遺骸の描写がなかなかに恐ろしく怪談じみているのですが、彼女の死を確認し、彼女のすべてがある意味、浄化されたところからようやく「椿姫」の物語は始まります。

 死は完結であり、伝説の始まりでもあります。亡き人は心のなかで美化され、永遠のものになります。民子さんもマルグリットも、すべての読者のなかで、いつまでも若く美しいままなのです。ちょっとずるいわね。