箱の話  北村薫とシュペルヴィエル

   里見はやせという少女が忘れられません。里見はやせは、北村薫「スキップ」(新潮文庫)の主人公の高校教師、真理子の教え子のひとり、演劇部に所属し、「かえる語」で演説する少女です。彼女は文化祭で、「箱入り娘」を演じます。舞台のうえには箱がひとつ。文字通り、箱に入った彼女は、家庭の崩壊をほぼひとりで演じきります。頁にすればほんの数ページ、サイドストーリーというほどのものでもないこの舞台は、まるで実際にどこかの劇場で見たことがあるかのように、今も読み返すたびに目に浮かぶのです。「誰にも、箱はある。しかし、出なければ、捨てなければ、歩き出すことはできない」。箱を開けることは歩き出すことなのです。

 シュペルヴィエルにも不思議な「箱」が出てきます。「空のふたり」では、天国の道が街角にとつぜん巨大な箱が登場します。人々はこの箱がいつ開くのか、中から何が出てくるのかと期待するのですが、いつまでたっても箱はそのままです。ところが、ある日、地上の恋人たちが天国で再会すると、箱は開き、そこから思い出があふれてくるのでした。箱を開けることは、忘れていた何かを取り戻すことでもあります。

 箱を開けると世界が動き出すのは、箱のなかと外では時間の流れが異なるから。二つの時間がぶつかりあうから。裁縫箱、お菓子の箱、ダンボール箱、生活のなかにあふれる箱たち。見慣れた箱でも、開けてみたら、想像していたものと違うものが出てくる可能性はゼロではありません。すべての箱はびっくり箱なのです。箱を開くことで、なにかが変わり、箱をでることができたら、そこは新しい世界なのでしょうか。それとも、箱のなかにはまた箱、箱の外にもまた箱がつづいているのでしょうか。