へんな動物  マンクスピアとブラフマン

 コルタサルの「片頭痛」(寺尾隆吉訳『動物寓話集』光文社古典新訳文庫所収)にはマンクスピアという動物が出てきます。「私たちはずいぶん遅くまでマンクスピアの世話をしているが、夏、こうして暑くなってくると、彼らは気紛れや移り気の度合いを増し、成長の遅い個体には特別な餌が必要となり、陶器の大きな器に盛った燕麦麦芽を運んでやらなければならない」。舞台は南米。きっと私が無知なだけで、そのような珍種がかの国には存在するのだろうと思って読み進めます。ふむふむ。こいつはどんな動物だろう。グーグルで調べれば画像もでるだろう。あれ、出てこないぞ。そして、解説を読んでようやく、私はマンクスピアが架空の動物であることを知ったのです。ああ、そうだったのか。こいつもブラフマンか! そう、私が騙されたのは、初めてではありませんでした。

 遡ること数年前、小川洋子さんの「ブラフマンの埋葬」(講談社文庫)を読み始めたとき、頭の中にはブラフマンという名の犬がいました。ご自身のエッセイなどで犬の話をよく書いていらしたし、私自身犬好きであり、犬を飼ったこともあったので、「黒いボタンのような鼻をひくひく」し、トイレに失敗すると申し訳なさそうな顔をするといった描写は犬を思わせたのです。でも、「(尻尾の)長さは、胴の一・二倍」のあたりで、違和感を抱きます。え、そんな犬種いないよね。そして、どうやら、ブラフマンは架空の動物であるらしいということに気づく頃、物語は加速していくのです。こうなるともう、それが実在するかどうかなんて関係ありません。結末を読み終えるまで、私の頭の中には、子供の絵のようなへんな動物がずっとウロウロしつづけたのでした。

 いえ、読み終えてもなお、へんな動物は消えません。ユニコーン麒麟ほど神秘的なわけではなく、いかにもそこらにいそうなやつ。都会のいかがわしいペットショップや、ちょっとした郊外の森で出会えそうなやつ。彼らはやはり、存在するのです。きっと。

「ねえ、マンクスピアの絵を描いて」