アレとコレ

詩の翻訳 映画『パターソン』と『月下の一群』

ジム・ジャームッシュの映画『パターソン』のなかに「詩の翻訳なんてレインコートを着たままシャワーを浴びるようなものだ(Poetry in translations is like taking a shower with a raincoat on.)」というセリフがある。これを聞いたとき、映画館の暗闇で…

へんな動物  マンクスピアとブラフマン

コルタサルの「片頭痛」(寺尾隆吉訳『動物寓話集』光文社古典新訳文庫所収)にはマンクスピアという動物が出てきます。「私たちはずいぶん遅くまでマンクスピアの世話をしているが、夏、こうして暑くなってくると、彼らは気紛れや移り気の度合いを増し、成…

『夜明けの約束』 小説と映画

ロマン・ガリの小説『夜明けの約束』が映画化され、『母との約束 250通の手紙』のタイトルで公開されました。試写会に呼んでいただいたご縁もあるし、映画ではじめてこの作品をご覧になる方の邪魔をしたくないので、これまで控えておりましたが、公開から半…

かわいくない犬 ウヤミリックとベック

犬と男の冒険旅行との触れ込みで読み始めたが、どうも勝手がちがう。犬がかわいくない。いや、かわいいところもあるにはある。だが、ウヤミリックという名のこの犬、人糞は食べるし、隙あらば手を抜こうとする。人間のほうも犬をどなりつけ、いざとなったら…

異国のお人形 芥川と雨情

少々遅くなりましたが、3月は雛の月。芥川龍之介の「雛」(1923)は、旧家がひな人形を横浜のアメリカ人に譲渡することになる話です。ひな人形の持ち主である少女は淡々としているのですが、人形との別れに没落の悲しみを重ね涙したのは、以外にも少女の父親…

戦争プロパガンダ10の法則 批評と行動 

アンヌ・モレリ著『戦争プロパガンダ 10の法則』(草思社)の翻訳のお話をいただいたのは、2001年暮れのことでした。2001年9月にアメリカ同時多発テロが起こり、世界は緊張感に包まれていました。急いで翻訳し、刊行されたのは翌年の春でした。 できたばかり…

訳者あとがきにかえて スター・ウォーズと哲学

新しい訳書が本屋さんに並びました。ジル・ヴェルヴィッシュ『スター・ウォーズ 善と悪の哲学」(かんき出版)です。原書には映画タイトル「帝国の逆襲」をもじって「哲学の逆襲」というサブタイトルがついています。 世はサブカル花盛り。NHK Eテレでサブ…

訳者あとがきにかえて ディズニーと哲学

新しい訳書が本屋さんに並びました。マリアンヌ・シャイヤン著「本当に大切なことを気づかせてくれるディズニーの魔法の知恵」(かんき出版)です。実を言うと自己啓発本のたぐいは苦手なのです。ミッキーマウス(の着ぐるみ)が苦手でディズニーランドにも…

世界の中心 マルティニークと沖縄と

台風一過、とりあえず、自分と自分に近しい人だちの安全を確認すると、ああ、よかったと安堵し、翌日のニュースで多くの人が被災したことを知る。震災のときもそうだった。東京のアパートで私が割れたグラスを惜しみ、棚から落ちた本を拾っていたとき、東北…

墓前で泣く青年 「野菊の君」と「椿姫」

御彼岸です。お墓参りの季節です。墓地を歩いていると、墓に取りすがって泣く青年の姿が頭をよぎります。しかも、二人。ひとりの名は政夫、もうひとりは、アルマンです。 政夫は、野菊のような人、民子に心を寄せますが、先回りした親が、民子を説き伏せ、よ…

箱の話  北村薫とシュペルヴィエル

里見はやせという少女が忘れられません。里見はやせは、北村薫「スキップ」(新潮文庫)の主人公の高校教師、真理子の教え子のひとり、演劇部に所属し、「かえる語」で演説する少女です。彼女は文化祭で、「箱入り娘」を演じます。舞台のうえには箱がひとつ…

目で読む詩 アポリネールと吉野弘

昔々、パリの文房具屋で万年筆の試し書きをしようとしたら、店のマダムに怒られました。そのとき、私はつい、縦書きで試し書きをしたため、ペン先に癖がつくことを恐れた店主に注意されたのです。まあ、結局、購入するなら良しとされたわけですが。 アポリネ…

過剰なる母 寺山修司とロマン・ガリ  

5月になると、寺山修司を読み返します。5月4日は命日だから。そして、『われに五月を』の印象があまりにも強いから。歌集「われに五月を」のなかで、「二十才 僕は五月に誕生した」としていますが、本当は12月生まれ。別の作品(1)では「おいらの故郷は汽車…

牛乳を運ぶ シュペルヴィエルと宮沢賢治

古典新訳文庫創刊編集長の駒井稔さんが「今、息をしている言葉で」(而立書房)で、刊行時の経緯を書いていらしたので、「海に住む少女」刊行に到るまでの覚書を今のうちに。 2005年の冬、古典新訳文庫の創刊に先立ち、編集長の駒井さんから「何か訳したいも…

美女の誘惑 鏡花とゴーティエ

このところ法事続きで、お坊さんと話をすることが多い。高野山で修業したという方に会うと、ついつい、泉鏡花の『高野聖』を思いうかべてしまう。いやいや、目の前にいる実直な御坊様が、美女に迷うとは思えないけれども。 『高野聖』で、修行僧は山の奥に迷…

夢は誰のもの ソーセキとタブッキ  

「私の夢」といっても将来の夢ではない。私が今朝見た夢は、私の夢なのだろうか。目が醒めるなり、あわてて書き残そうとしたところで、もはやそれは私の夢ではない。記憶の底にぼんやり消えかかった夢、その夢の著作権も所有権も私にはない。いい夢を見たく…

芝浜と椿姫

「なんだって、芝浜と椿姫が似てるってえ。冗談云っちゃいけないよ。椿姫って言ったら、あれだ。吉原のおいらんみてえなもんだ。そんないい女と魚屋のおかみさんを一緒にしていいわけがねえ」「あんた、女っていうものをわかってないね。椿太夫だって、おか…

トルバドゥールと万葉歌

先日、「中世フランスが恋愛を発明したのか?─トルバドゥール・トルヴェールの恋の歌」というレクチャー&コンサートを聞きにゆきました。宮廷風恋愛については、「クレーヴの奥方」を訳したときに、源氏物語みたい、と思ったのですが、今回、トルバドゥール…

メラニーとダイアナ

「風と共に去りぬ」を読んだ後、「メラニーのようになりたい」と言った友人がいた。いやいや、なれるものならスカーレットになりたいと私は思った。「メラニーなんてスカーレットの引き立て役に過ぎないじゃない」という人もいた。いやいや、そんな単純なも…